Soul of Weed

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サンソン−ルイ16世の首を刎ねた男−再始動

 

2年前配信で観たとき、「配信で良かった」とさえ思ってしまった作品。テーマが重く、多くのものを訴えかけてくる作品であることを知っていたからこそ、生の舞台で観られると言うことにすごく緊張しました。

コロナ禍を経て3年以上ぶりに生で観ることができた舞台。やはり、全身で演技を音楽を受け止めて改めてとてもとても大きなパワーのある作品だと思いました。舞台だからこそできる作品。映画でもテレビでも成し得ない、舞台でしかきっと表現することのできない重く、苦しいテーマで。決して、楽しかったで終わることのできる作品ではないけれど、訴えかけてくる思いは今の時代だからこそ訴えかけられるべきことなのではと感じました。

 

舞台となっているフランス革命前後のパリの街。「レ・ミゼラブル」や「1789」、「マリー・アントワネット」など様々な作品で触れてきた題材ですが、市民からの視点あるいは王族からの視点と2つの視点で作られているものが多く、市民、王族に加えて、中立であった人からの視点の「サンソン」はより多くのメッセージを訴えかけてくるような気がします。

 

私が、この作品に触れて考えさせられたことは大きく3つ。

1つ目は死刑制度について。人が人を裁き"死"を宣告すること。これがどれほど苦しいものなのか、まざまざと見せつけられたように思います。現在でも、日本には死刑制度が残っていますが、生きていて死刑制度を意識することって、実はあまりないと思っていて。自身の身に起こりうることとして考えたことはほとんど無くて。死刑の判決が出たと聞いても、その判決を下し、刑を執行する人に対して思いを向ける人は少ないと思うのです。現在、残っている死刑制度とフランス革命の頃の死刑制度は全く質の違うものだと認識していますが、死刑執行人にかかる重圧なんかは全く変わっていないのだろうと思います。サンソンは死刑執行人でありながら死刑廃止論者の一人でもあって。死刑を無くすことが出来ないのであれば、少しでも人道的に刑を執行できないかと模索し、葛藤していくサンソンの姿が脳裏に焼き付いています。

 

2つ目は、宿命について。世襲制で死刑執行人を務めなければならなかったサンソン。王の権利を神から賜ったものと信じて生きていたルイ16世。どちらも自身が選んで進んだ人生では無くて、生まれたときからすでにレールは敷かれていて、大きく外れることなく大人になった人たちなのだと。自身の思いとは別に、進まなければならない人生があることは辛く、苦しいことだと思います。

 

3つ目は、自身の考えを貫くと言うことについて。登場人物達が激動の時代の中、約40年の歳月を生きていく中で考え方が変わっていく様が描かれていて。時代とともに口にする言葉は変わっていても、礎となる思いは一貫している人。時代とともに、礎となっていた思いさえも見失っていってしまった人。時代の渦に飲み込まれ、自身の思いを飲み込まざるを得なかった人。私は、どんな生き方が出来るだろうかと考えさせられました。「自分に誇りを持って生きることができるか」その問いに自信を持ってYESと答えられる人って意外と少ないんじゃないかなとも思います。いつか、自分の人生を問われたとき胸を張って「自分を全うした生き方だった」と言えるような考え方、選択が出来るようになりたいです。

 

 

物語の始め、シャルル=アンリ・サンソンは27歳。今の私と同い年。自分に置き換えて、いくら世襲制だと言われても、死刑執行人というあまりにも重すぎる職務を務める精神力。生半可なものじゃないと思うのです。生まれたときから決まっていた宿命。簡単に受け入れられるはずのないことで、そんな中でどうすればより自身が誇りを持って生きていけるのかを模索する志の高さ。格好良い人だと思います。三千人の死刑執行を行ってもなお、自身の仕事を、誰にも変わることのできない仕事であると自負し、その重責を担う姿。法に従順でありながら、自身の考え方を見失うことなく、死刑廃止、刑罰の平等を訴え、真っ直ぐ立ち向かい続ける姿。本当なら誰よりも歴史に名を刻むべき人だったのかもしれないと思います。シャルルは客席に背を向けている時間が、案外長かったように感じたのですが、真っ赤なジャケットを着た背中が悲しみを、憤りを何よりも語っていた気がします。

私は、ナポレオンとの最後の会話の「仕事場ですから。」と言う台詞がなぜだかとても心に残っています。自身の仕事に誇りを持ち、必ず全うするという思いがその一言に込められていると感じました。

 

ルイ16世は、若くして王の座について世間というものをあまり知らなかったかもしれません。人を思う心があるだけでは、人の上に立ち国を治めることは出来ない。彼にしても、マリー=アントワネットにしても傍から見れば、善でも悪でもないのだと思います。ただ、貧しい生活をする市民から見れば豪華絢爛な宮殿に住まい、きれいな衣服を身にまとって、食事にも困らない彼らは憎むべき対象だったに違いないとも思いました。

 

欲に忠実だった、ナポリオーネ・ブオナパルテ。コルシカ島への愛国精神、いわばナショナリズムのようなものを持っていながらフランスの兵士としてのし上がり、皇帝まで登りつめた人。兵士としてシャルルと向き合っていたときと皇帝として向き合っていたとき、後者のほうが立場としては威圧感があるはずなのに、兵士としてのプライドを持ってぶつかっていたときのほうがよほど威厳がありました。自分を貫き通しているようにも見えるけれど、彼も時代の波にのまれてしまった一人なのだと思います。

 

ジャンは誰よりも愚直で真っ直ぐな人で、誰よりも芯のぶれなかった人。自分の信じた、願った未来のために力を惜しまなかった人。エレーヌの純真な心とジャンの愚直な行動力はこの戯曲の光だと思いました。彼らが、真っ直ぐに生き抜いてくれたからただただ悲しい物語にはならなかった。現在に続く、問いかけをしてくれる役割に感じました。

 

ジャンと共に、ギロチンの制作にも関わり、人道的な死刑制度を求め、平等な刑罰を求めていた人で、若者たちの中でも冷静で周りが見えていたように思うトビアス。一番、大人の振る舞いを出来る人というか、中立の立場を取ることが出来る人だったように思います。そんな人が、最後にはギロチンをビジネスとしてしまったことが無性に悲しかった。エレーヌの「人を殺す仕事で?」という言葉が彼の心を動かしてくれていないかと願ってしまう自分がいます。

 

サン=ジュストはとにかく行動力のある人だと思います。階級社会への反発心で、猪突猛進に突っ込んでいった人。見方によっては誰よりも真っ直ぐだったのかもしれないとも思うのです。ロベスピエールと共に死刑廃止を訴えていたはずが、気付けば王を処刑し、自らも処刑されてしまうという皮肉な最期。時代に翻弄され続けた運命だなと。

 

シャルルの父バチスト。息子を思う父でありながら、職務の師。きっと、シャルルと同じように葛藤しながら死刑執行人を務めていたのだろうと思います。死刑廃止を訴える息子に対して、咎めるような言葉がありましたが、それも彼自身が仕事に対して誇りを持っていたからなのだろうと感じました。

 

シャルルと共に、人道的に死刑執行を行えるようにと尽力をしたジョゼフ・ギヨタン。人道的だと信じて作り上げた断頭台が、結局死刑の数を増やしてしまったかもしれないこと。そして、その断頭台が自身の名前ギヨティーヌで定着してしまったこと。やるせなかったろうと思います。

 

 

断頭台の刃が落ちる音が、脳内にずっとこびりついています。全身で浴びた、人々の叫びも。

 

 

 

 

舞台的なことでいうと、正面の3階建ての箱、プロジェクションマッピングは幻想的な印象で登場人物の心の動きを映し出しているような気がしました。

処刑が行われる瞬間のグロの動きも印象的でした。死刑執行の瞬間をそう表現するのだなと。舞台ならではの表現という感じ。

 

 

決して、楽しかったと言える舞台ではないと思います。でも、混沌とした現代を生きていかねばならない私達には必要なメッセージの詰まった戯曲だと思います。

この変わりゆく時代をどう生きていくのかとサンソンの真っ直ぐな瞳が問いかけてきているようなポスタービジュアル。

彼のように、葛藤しても自身の在り方を見失わない人であれたらなと思います。

 

 

 

2023年5月20日(土)

まつもと市民芸術館 主ホール 3階4列23番

1幕 13:00〜14:00

2幕 14:20〜15:25

舞台 サンソン-ルイ16世の首を刎ねた男- 公式サイト